ようこそ(*^▽^*)
社会人6年目&大学院1年生の息子がいるアラフィフ〜アラカンの狭間にいる母が日常を自由気ままに描いているブログです。
初めての方、こちらに兄弟のプロフィールがありますので、よかったら覗いてみてください。
↓↓↓↓↓↓
はじめに
☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.
8月15日は終戦記念日ですね。
当ブログに時々登場する神宮寺さんは戦争を体験しています。
時々戦争のお話を聞くことはあっても、個人的な資料として手に取り
目の前にすることは貴重なことなのでは…!?
私だけではなく色々な人に知ってもらえたらと思い記事にしてみました。
(全て神宮寺さんの許可を得て掲載しております)





今も大切にとってあることに家族に対する愛が感じられますね。
疎開先ではこれを毎日みんなで読み上げていたそうです。
(この用紙は資料として現在の神宮寺さんが書いたものです。)

そして戦争に負けた直後、神宮寺さんのお父さんが
神宮寺さんに宛てた手紙 ↓
大切にとってあるんですね。

内容を私なりにまとめてみました。
達筆すぎて間違っているところがあるかもしれませんが…
旧仮名遣いもところどころそのままにしてあります。
□■*:;;;:*□■*:;;;:*■
〇〇君
ご無沙汰致しました。其後は貴君にもご壮健の事と思います。
私事も皆元気ですからご安心ください。△△姉さんが八月初め頃より
大腸カタルといふ病気で初めのうちは四十度位の熱がありましたが近頃は
熱も下がってもう時期に全快しますからご安心ください。
大東亜戦争も日本が負けて甚だ残念ですが、原子爆弾を使って
アメリカが勝ったのですから本当の勝利ではありません。
あんな撃弾を使ったのでは地球上の人間を初め生物は皆死んでしまいます。
Tくんも戦争が終わったので東京へ帰りたいでせうが、学校も焼けて
なく私等もK君の二階に生活しているので帰りたいでせうがもう少しの間
鳴子にいて先生始め皆様が東京に帰る時にいっしょに帰ってきて下さい。
それまでには私等も家を一軒借りるつもりです。
☆☆姉さんも秋田におります。
あと半年も経てばまた親子五人で暮らす事が出来ます。
それを楽しみに元気で暮らして下さい。
東京横浜の上空には毎日朝早くから米国の飛行機がたくさん爆音高く飛行して居ります。
今二日東京湾品川沖に停泊している米国戦艦ミズリー号の艦上に於て正式に日本が負けた
降伏調印式が行われますので米国飛行機が二十機も朝早くから東京横浜の上空を
飛行しております。
ずいぶんしゃくにさわりますが日本が負けたのでしかたがありません。
どうか君等小国民がこの日本国建設のため一生懸命に勉強して偉い人になって下さい。
それには体の健康が第一でありますから体を大切にして勉強して下さい。
先生の命令をよく守って一日も早く東京に帰れる日を楽しみにして居ります。
Y君は学校も家も焼けませんがまだ疎開地に生活して居りますから
君も少しがまんして鳴子にいて下さい。
六年を卒業するのもあと半年ぐらいです。
卒業したら◆君と同じ中学に這入るよう一生懸命に勉強して下さい。
S君もS谷の伯父さんもM子さんも皆品川に帰ってきましたから
皆様に葉書を出して下さい。
それではあと半年ですから頑張って下さい。
佐様奈良 (さようなら)
父より
九月三日
□■*:;;;:*□■*:;;;:*■
疎開先で日本が負けたことをラジオの玉音放送でみんなで聴いたそうですが、
大人たちは一斉に泣き崩れたという話を神宮寺さんに聞きました。
当時日本が負けるとは誰も信じていなかったんですね。
これは神宮寺さんが小学校5年生の時に疎開し、
戦争が終わった直後に疎開先で書いていた日記。



酔っ払って米軍兵が目の前で空に向かってピストルを打ったことや
チューインガムを配っていたことなど記してありました。
きっと神宮寺さんはチューインガムに感動したのでしょう。
細かく観察した絵がありました。


当時の絵葉書↓

のらくろの漫画を彷彿させる。

「さびしければ大声で呼ぼう!(神宮寺さんの名前)ちゃんの名を!」
と書いてあります。
誰からのハガキかわかりませんが、幼かった神宮寺さんを励ます言葉だったのだろうと思います。
絵葉書のイラストがレトロで可愛い。
ここに載せたものは神宮寺さんが持っている手紙などの1部です。
神宮寺さん大切な資料を貸していただき、ありがとうございました。
長くなったので次回にもちょっと続きます。▶︎▶︎▶︎▶︎
※今回の記事にいただいたコメントは印刷して神宮寺さんにお渡ししようと思っていますのでよかったらコメントぜひ!
▼超人神宮寺さんを知らない人へ
▼次男も愛飲しているサジー😆
体のだるさが気になるなら一度お試しください
重版出来ありがとうございます!
▼
▼息子が反抗期の時の悩める母のエッセイです。
お金のこと漫画にして解説してます▼
Xもやってます






コメント
コメント一覧 (25)
knife8
が
しました
鳴子は宮城県かと思います。
封筒の宛名も宮城県になってるかと…。
宮城県在住なもので、気になってしまいました。
神宮寺さんがまさか、鳴子に疎開していたとは!
なかなかお話を直接聞ける機会がなくなりつつあったり、思い出したくないことかもしれないことを聞けることが貴重な体験ですよね。
長文、失礼しました。
knife8
が
しました
神宮寺さんたくさん思い出の手紙とか持っていたんですね
私は明治生まれ祖父と大正生まれ祖母に育てられてますが
戦争の話は一切、孫の私には話さなかったです
よっぽど嫌な思いがあったんだと勝手に解釈します
関東大震災の話を祖母はちょこっと話したことあります
小さな地震でも異常に怯えていました
私の夫のおじいちゃんは戦中に食料の貨物船の乗組員で輸送時に爆弾落とされて亡くなってます
夫は前からプラトーンとか戦争ものの映画やテレビ特集は熱心に観てます
私もそのうちたくさん観るようになりました
はだしのゲンの漫画をずいぶん中年になってから読みました
NHK番組でインパール作戦の特集も数年前に観ました
アホな私でも無謀な作戦だったと思いました
今ふつうに食べもの食べられて…感謝しながら食べなきゃといつも思っています
knife8
が
しました
knife8
が
しました
義父が戦争経験者で工場勤務、義祖父は軍人でサーベルと日本刀を持っていたそうです。
戦争の話は辛くなるからしたくない言っていた義父は終戦記念日の8月15日に亡くなりました。
今回のブログを見て義父から話を聞ければよかったなと思いました。
重箱の隅つつきですみません(>_<)
神宮寺さんのお父さんのお手紙の中で「大腸カタル」が「台帳カタル」になっています。
knife8
が
しました
自分から戦争中の話はしてくれませんでしたが、小学生の時の宿題で戦争中の話を家族に聞くがあった時に覚えていた事を分かりやすく話してくれました
戦時下ドラマ、映画、アニメの映像では思い出しませんでしたが、神宮寺さんのお話を拝読して父との想い出が浮かびました
ありがとうございます
knife8
が
しました
学童疎開について昔書かれた本を読んだとき、食べものも少なく、労働もしなければならず厳しい生活をした、という印象が何となく残っていますが、神宮寺さんはどうだったんでしょう。
母も、自分達の経験を語るのが難しい状態になりました。次世代の私達が語り継いでいくべき時期にきてますね〜
それにしても、神宮寺さんのお手紙、とても貴重なものを拝見させてもらいました。ありがとうございます(^^)
knife8
が
しました
祖母は女学生の頃、教師に向かって”日本が勝てる筈がない、こんな無駄な戦争に皆の命を使うべきじゃない!”と大声で言ったところ、教師から何度もビンタされ、二度というなと怒鳴られたそうです。突き出さなかっただけ温情のある先生だった、と祖母は話していました。
私と同世代でも、戦争の実体験を聞いた事のある人はおそらく少数派だと思っています。
祖母の体験談と、戦争は絶対にしてはいけないというメッセージを、私自身も私の子ども達、次世代に伝えていく責任があると思っています。
knife8
が
しました
それを美化せず矮小化・湾曲せず、起こった(起こした)事実を
正確に〝日本史の一部〟として受け継いでいくことは
我々戦後生まれの責務の1つなのだろうなと思います。
祖父が衛生兵で、大叔父が特攻隊員でした。
2人とも長生きはしましたが、戦時中のことについては
「子供には聞かせたくない」と口を開くことはありませんでした。
言いしれぬ記憶に苦しんだことも多々あったと思います。
〝おじいちゃんの話〟としてではなく、当事者の記憶の継承として
もっとちゃんと真摯に向き合うべきだったと後悔しきりです。
社会(教科)の勉強はあくまでとっかかり。
戦争の詳細は、自分で
knife8
が
しました
そして貴重なお話と資料をありがとうございます😭
お手紙のくだりでは涙が出てきました。
神宮寺さん、まるさんありがとうございました。
knife8
が
しました
90歳を超えても酷暑の中、区役所に足を運ばれた神宮寺さん、本当に尊い存在です!そのバイタリティや未来へ想いを繋ぐための行動力に敬服し、私、神宮寺さんの大ファンです。
父も今年86歳になりますが、戦争を体験した最後の世代ですね…子の私達は、色々な話を聞いて、次の世代に伝えたいかなくてはなぁ、と改めて感じました。
knife8
が
しました
戦時中の貴重な資料を見せていただき、ありがとうございます。
私の義母は88歳で戦争を経験しています。当時7、8歳で疎開するときに2歳の弟をおぶさって、5歳の弟の手をつないで歩くのは大変だったと言っていました。
当時を知る方が少なくなるのは寂しいです。風化させてはならんですね。
神宮寺さんほどではないですが義母も元気で、ゴルフもプレーするし習い事も沢山で旅行もしょっちゅう行ってます。
ずっと元気でいてほしいです。神宮寺さんの話もまた聞きたいです。
knife8
が
しました
これからの日本を良くしていくことが、命のバトンを引き継いだ私達にできることだなと、改めて感じます。
神宮寺様、ブログ主様、貴重なお手紙・資料を共有してくださりありがとうございます。
続きの記事も楽しみにしています。
knife8
が
しました
疎開はしなかったようで、大空襲や大震災も経験したそうです。
今は同じ上野で4世代で同居してます。曾孫たちが、戦争学習の為に話を聞いても「今が一番幸せだから、何も語れないよ」と言っていました
その曾孫も結婚しました、玄孫が生まれるぞー
knife8
が
しました
宮城県の山奥が疎開先になっていたんですね…宮城に住んでいてもわからなかったです。
今現在もパワフルなおじいさまで素敵だなと拝見してます。これからも楽しみにしてます。
knife8
が
しました
幼い神宮寺さんが頑張ったことを思うと切ないです。
どうか、世の中が平和になりますように。
knife8
が
しました
うちの祖父(満州へ行ってました)も開戦!と書かれた新聞やら色々保存していましたが、亡くなってどうなったのか・・なかなかこういった資料も飽和状態のようで、貴重な資料たちがきちんと後世に残ると良いですね。
knife8
が
しました
そして貴重な当時の資料見せて頂きありがたいことです。
そっか〜、当時は家族バラバラで生活して生きるのが当たり前だったのかと…。
現代の家族一緒に過ごせる、危険の少ない生活がありがたく感じました。
knife8
が
しました
うちの父は5歳で終戦を迎えたそうですが、当時の手紙や帳面は悲しく辛い記憶を思い出してしまうからと、割と早く処分してしまったようです。
神宮寺さん宛のお手紙の中で「大腸カタル」が大帳になっているのと「日本」が負けたが自分が負けたになっていますよ~。
knife8
が
しました
家族が離れて暮らす日々は皆さんにとって大変で寂しい生活でしたよね。
私にもちょうど五年生になる息子がおりますので、想像すると胸が痛みます。
どうかこれからも元気に長生きなさってくださいね!
knife8
が
しました
戦争体験者で語り継ぎたい方がいても、地域レベルになりがちです。それをこうしてまるさんが広めてくださることで、色んな地域や年代の方に広まるのって素晴らしいですね。
戦争体験は政治利用や色んなことに利用されがちですが、まずは当事者の率直な話を聞くことが大切だなと改めて思いました。
ありがとうございます
knife8
が
しました
knife8
が
しました